育てるために草を取る
草取りは瞑想の現象と同じか?
と草取りの日の休憩に正観くんが話しました
うん、そう思う
瞑想中 ポコポコと湧いてくる邪念に気づく度に作業に戻るのと
取ってもまたニョキニョキ出てくる草を刈る作業 現象として同じだなぁ
ちょっと草取ったくらいではほとんど見える世界は変わらなくて
日々取り続けるときれいな畑の姿になる
座って瞑想するのもいいけど
土の上を歩いて現れる草を取り続けるのも
もちろん大変だけど どっちもいい
「草取りがなければ農家はいいしごとなんだけどな」
と手伝い先の農家さんが話したそうだけど
きっとしんどく でも大切な作業なのだと思う
「草取りは暑い日のお母さんの作業なんです いちばん大変なの」
と別の農家さんも話されていて
この広い農地を歩いて回ってきたのかと思うと
大規模だからとイメージしていたこととはまるで違う側面に
価値観がいろいろと代わっていきます
開拓してから三代目 という農家さん数名と出会っています
三代も続くと世界はすっかり変化しているのだろうと想像します
友人に教えてもらった『チームオベリオべリ』という帯広開拓の物語を読むと
ほんとうにこれが少し前の暮らしなのか と信じ難くもあったのだけど
図書館にある開拓の記録の本を開くと
同じような大変さが記されており 一部ですが写真と共に景色が見えてきます
そして畑にしてさらに
育てたい作物以外の草を代々取り続けてきたからこそ
十勝の美しい農地を見ることができ私たちが癒されています
この景色をつくってきたのはこの土地の人々
どこへ行っても農家さんは頭が下がる働きっぷりです
種を蒔き
草を取り
収穫する
草取りは忍耐
目の前を一つずつきれいにする
育てたいものを育てるために
長野では有機農家さんのところでお世話になりましたが
十勝では素敵な慣行栽培農家さんと出会いお手伝いをしています
繋いでくださったイクシくん、なっちゃんには感謝しきれません
どちらの農も知った上で
自分たちはどのように大地と生きていくか
どうやって景色をつくっていくか
考えていきたいです