心の支え
人間として身体をもち存在していたことが
今となっては不思議なくらい
仙人のようなあたたかい先生たち
心の支えであったと気づき
ます
先生の生む場 眼差し 話のこえ
からだかたちあるときにふれ合えたこと
手を介して身体がひびき合うこと
残された本を読み返して
彼らのことだまを感じられることが
ありがたいことです
これからも勉強を続け身体をもって尽力します
あふれる感謝とともにご冥福をお祈りします
『易経入門』小林詔司著
手で相手に触れることは愛を伝える非常に重要な手段で、相手のどこかに触れたとき、愛は手を通じて電気のように相手に流れます。
愛はどこに流れるのでしょうか。
それは相手の絶対的な陰の部分に流れるはずです。
絶対的な陰は、身体の細胞の一つひとつはもちろん、あらゆる身体の組織を支えている力だからです。
それからその力は脳に及び、あるいは心臓に至り、目が潤み、悦びの動作が全身に行き渡ります。
この愛を別の言葉で表現すれば、それは意識となるでしょう。
愛するとは相手を意識することだからです。
術者が治療するときの手の作用は、この愛の手に非常に近いといえます。
術者が患者を憎んでいては治療はできません。
患者に気持ちを寄せないと真の治療はできないでしょう。
そのような気持ちをもったとき、術者の手を通じて、術者の意識が患者の身体に流れ、充満します。
患者は緊張から解放され、術者の治療を受け入れます。
この意識は、患者の絶対的な陰に影響を及ぼしているのです。
「治療家の手」
さわられて
軟らかい
温かい
肌に密着する
かゆい所に届く
迷いがない
気持ちが和む
気持ちが満たされる
安心感を覚える
その手は
天の力を通す
良くないものを吸い取る
その手に
さわられて蘇る
『代替医学のこれから』石原克己著
手は心の鏡、無心の手でもある。
魂の輝きに応じて、手も生き生きしてくる。
病める人を治し、癒し、自らも癒される手は、医の原点でもある。
触れられて気持ちの良い手、
ぬくもりのある手、
幼児のように弾力があり柔らかい手、、、。
手は病める人から多くの情報を受け取り、分別もできる。
真我のて(無心の手)は病める人の求めに応じて動き出す。
病腺(邪気反応点)を感知でき、
虚している所に手は自ら引かれていく。
患者の心と体は掌を触れる人の心と体でもある。
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ひとにふれる機会があるかたや
ひとに興味をもち身体と関わるかた
ぜひ読んでみてください