シビビー

 

 

「シビビーって、言う?」

 

と露天風呂で

素敵なご婦人がニコリとして突然話しかけてくれました

 

 

「シビビー?」

 

覗くとカラスノエンドウがきらきら咲いていたので

 

カラスノエンドウですか?

 

と聞き返しました

 

「シビビーって、言わないわね

いまの人はね、音が鳴るから子供の頃遊んでいたのよ。

もう70年以上前だからね」

 

え?いったいおいくつかしら?と思うと

 

「もう80(歳)になるわ」

 

わぁ、姿勢もきれいで美しくて。

全然そんな歳には見えなかったので思ったままお伝えすると

にこりとしてシビビーの話を続けてくれました

 

 

「なにもなかったからね、遊ぶものなんてなーんもなかったから

シビビーを鳴らしてあそぶのよ」

 

ゲームなんてない時代ですものね

 

「ゲームどころじゃないわよ、なんにもないわよ

わたしね、父親がある日の夜に穀箱をガタガタしていてね「なにしてるんですかお父さん」と聞いたら、「お前はあっちへ行ってなさい」と言われたの、、

あ、この話すると涙出ちゃうんだわ、どうしよう」

 

聞きたいです

しっかり温まり終わっていたわたしは膝から足先までを湯に浸けて話を聞きました

 

 

「わたしね、

小学校に入る少し前に父親が戦争から帰ってきたのよ

敬礼して「◯◯◯の◯◯ただいま帰りました」と家の前で言ってね帰ってきたの

わたしは父のこと写真でしか見てなかったの

△△に行った後そのままスマトラに招集されて行ったみたいで、もう写真でしか覚えてなくてね

そしたらわたしはびっくりして、裏の親戚のおばさんに泣きついたの。

「お父さんじゃない!」って毎日泣きに行ったわ。

笑っちゃうわよね、おばさんは「お父さんだよ」と何度も言ってくれたんだけど。

写真よりとっても太って帰ってきたもんだから、別人だったの。」

 

え?戦争から帰って太ってたんですか?あんまり想像できないですけど、、?

 

 

「父は、東南アジアのスマトラ島に役人で行ったそうなのだけど

そこでは島民に一切の手を出さないことを徹底し、彼らに農業を教えていたの。

土地を開墾して、食べ物を育てることをずっとしていたから、食べ物に困らなかったみたい。

このことを父からは何も話してくれなかったけど、いつか父の部下という人が尋ねてくれたときに、当時のことを話してくれたの。

島民はみんな父を慕ってくれて、戦争が終わって帰ることになったとき、もうみんなにそれはそれは泣いて残ってほしいと言われていたんだって。

 

だから、太って帰ってきたのよ。うふふ」

 

 

こういう話は 本で読んだことがあるけれど口伝ははじめて

日本人がアジア人の解放のために行ったという戦争に、心を震わされてしまいます

 

 

「そう、それでね

穀箱をガタガタする父にあっちいってなさいと言われて

わたしは はーいわかりました、おやすみなさい

と、ちゃんと返事をして扉を開けて 閉めたの

ちゃんとあっちへ行きましたよ、といううその知らせをしてね、

そのままこっそりと母と父の話を聞いてたのよ

 

 

近所に

お兄ちゃんふたりと妹ひとり、妹はわたしと年が近くてね、そんなおうちがあったんだけど

あるときそこのお母さんがもう4日もごはんを食べれてないと知ったみたいで

子供にはなんとかすいとんとかあげてるんだけど、もうほんとに食べ物がなくなってしまったと知ったそうなの

 

それで父は、お米をあげてきたと、話していた

母は

「うちはまだ米は搗けばありますし、粉にもできますから、大丈夫です

あなた、とても、いいことを、しましたね。」

 

と泣いて話していたのよ。

涙でちゃうわね。

 

そのお兄ちゃんたちはとても頭のいい人でね

学校でもいつも名前が載っていたのだけど、お金がなくて中学卒業してすぐ働いたわ

妹には学校に行ってほしい、って

お兄ちゃんたちのお金、、、って言っても住み込みのお給料なんて、こーんなちっちゃなものよ、

それをちゃんと貯めて学校に行かせてあげたの

 

 

ずいぶん経って

いつだったかな

10年前くらいかな、忘れちゃったけど

 

うちに車が停まって、見たことのない人が何人も降りてきたの

 

そうして話していたの

「子供の頃、このおうちに食べさせてもらったから生きれた、恩人なんだ」

って、お兄ちゃん、会社をつくって成功させて引き連れてきた部下に話していたのよ

わたしは兄ちゃんに、こんなに大きくなったわって、笑って話して

まぁ、とってもうれしかったわ

 

でも彼の妹は40代で亡くなってしまったみたいで、かわいそうに

甥と姪の面倒もみてるって言ってたわ

 

 

わたしがわがままを言ったとき、父は「それを◯◯ちゃんの前でも言えるか?」とお父さんがいない子の名前をあげてたわ、

とても言えないです、ごめんなさい

と ちゃんとわがままを謝ったのよ

 

わたしの小学校はクラスに40人だったけど、戦争からお父さんが帰ってきたのは17人だったの。

とってもわがままは言えないわ。

 

 

あのときは
食べるものさえあれば
幸せだったのよ

 

 

 

 

ごめんなさい、こんな話をしちゃって」

 

 

いえ、全然、ありがとうございます

 

あ、これ、なんて言うんでしたっけ?

 

 

「シビビー、よ」

 

 

シビビー、今年は音を鳴らしてみます

 

 

「うん、やってみて、ね」

 

 

ご婦人はそのまま脱衣所へ行き去っていきました

なんだか突然ものかたりがはじまりおわって

ほんとうかなにかもわからないまま

 

わたしは熱々の身体の汗をシャワーで流して

ゆっくり着替えてドライヤーで髪を乾かしていたら

涙が溢れてきました

 

美しい花とともに語られた話のどこに涙がでるのだろう

 

70年ちょっと前と

今のシビビー

 

通りすがりに家族の思い出を話す偶然

戦争の中の思いやり

日本人の精神性

花が咲き、種を落とし在り続ける植物

 

生きているなにか

その姿かたちをありありと

感じさせてくれました

 

 

食堂でひととおりまさみくんに話して

また泣いて

カツカレーをふたりで食べました

 

 

 

実話かわからないですけど

実話でなくてもよくできた話に

すっかり泣かされた3年前の露天風呂

シビビーが咲くと思い出してしまいます

 

 

ちゃんちゃん