うたのわ naluのなみ
弥生
あれは北の旅へでる少し前のこと
まさみくんが友人へお詫びの連絡をしました
そのお詫びはわたしもしたいと思っていました
それは ことばの表現のこと
こちらの言わんとすることがあちらに伝わりきらなかったことが
わかって 四国からの帰りの車でふたりで話したのです
わたしたちの思考の未熟さ それによって
もどかしい思いをさせてしまった
けれどそれを どうやって伝え直せばよいか 今はわからなくて
ことばにしようとすると 今は膨大な説明が必要になってしまい
それをしたところで伝わるかも認識されるかもわからない
と
1年も寝かせてしまったわけです
「ことばってむずかしい」
「ことばにしなければ伝わらない」
こんなことの繰り返しの中で生きています
すべてにうそなく生きることはできないなと思うから
できるだけ誠実に人とふれあいたいと思う
だけど早い時間の流れに生きてしまうと
わたしという存在は希薄になり
どこに誠実にいればよいか迷ってしまう
あの交わした時も ことばも 命あるものなのだから
どれだけ遅くなっても
まだまだ足りなくても
ごめんなさい、で また伝わらないかもしれないけど
そのときの精一杯をことばにしてみる
それがわたしたち自身にとって誠実に生きること
ゆっくりで不器用だけどそうして人にふれることしか
わたしたちにはできないみたい
「 あなたの言った “ある”と ぼくらの言った “ある” は 別のものです あの時はごめんなさい 」
「 あなたが ぼくらと交流して存在を実感し 在り方をみてくれた
あなたがいるから ぼくらはこの肉体があり生きることができている 」
「 “なる” という言葉 そしてそれを体現しているあなたはすごいんだと言いたかった 」
長くなりましたが
そんな流れで 唄の環 をひらくことになりました
あははははー どんな流れよね
何度かやりとりをして
「ひふみゆで唄の環できたら最高だぁ」
と伝えてくれたさとみ姫
ほんとうに人間て素晴らしいな
出逢いって 人生て いいなって
唄の環を いい場にしようって思いました
ひふみゆ
という音を抄い
やわらかい輪郭をくださった nalu
nalu というのは波という意味らしく
なるほどいつも波とやってくる
しかし大波がやってきても
こえをひびかせるあの場は 箱舟もきてみんなで乗っているよう
かと思えば
限りなく波のない沈黙の中に生まれる命の音や
お花畑を流れる川で
コポコポと水の中でゆっくり佇んでいるようにも感じる
きっと いろんな波を 彼女は知っていて
naluの波に揺れていると
この現実世界であらゆる波に対応しながら逞しく生きる
そんな力を
わたしの中で確実に育てたいという
決意があったことを思い出す
下腹の底のふかーーーーいところ
海の底に錨を下ろすように
わたしのそこのそこへ行く勇気をもたせてくれました
深ければ深いほど
おおらかな優しい波を
起こせるようになるね
こえを響かせてくださったみなさん
さとみさん 息子くん
ありがとう
とても 美しいこえでした
人間ていいね 大好きです
…
下記 この度のnaluさんから案内のことばです
…
はるのなか わたし わたしたちのなか
唄の環 旅ノ巻 / ひふみゆ 佐久
2023 4.9 (日)
場開き 13:00
はじまり 13:30
於 : ひふみゆ
…
はるのなか わたし わたしたちのなか
を きく
はるのなか わたし わたしたちのなか
を みる
はるのなか わたし わたしたちのなか
を ゆく
はるのなか わたし わたしたちのなか
を すすむ
ひふみゆ
おふたりの日々のいとなみ
それはやはらかく やさしく なかよく とても自然
その気配につつまれ みちる
いとおしいこの場所で
くるり 環となり 耳すます
内から 外から またちかく とおくから
聴こえくるもの
わたしのなか 鳴り ひびくもの
後半は おひとりおひとりから成る
こえをもちいたワークを共有いたします
いつのまにか身につけた
境界線 の解けてゆくような
むすびには
ひふみゆ 和美さんお手製
春の寿ぎのようなお菓子を
いただきながらシェアリング
…………
環となり
境界線を解いて
耳をすます
技術、優越もなく
ただ声、母音を
ゆるやかに 響かせてゆく
そこに
自ずと立ち現れてくる
“わたし” は、
素であり自然
それは
すべてとひとつである
わたし、
いまここ、
その原初に還る。
身一つでおこなう
母音、倍音を用いる
“声のヨガ” のようなワークを含めた場です。
人前で声を出すのがためらわれる方
久しぶりに声を出したい方
声の可能性にご興味ある方
どなたでも安心しておこなえるよう
ゆるやかに誘導してゆく環、場となります。
nalu HP https://www.umitonalu.com/